場所: 更級地域は、千曲川中流部に位置します。長野市の犀川南から上田平に到る千曲川左岸で、対岸の埴科地域とは古くから結びつきが強く、同一の地域として発展してきました(更埴地域)。西には筑摩山系北部の里山、聖山や冠着山などが連なります。
冠着山を仰ぐ
気候: 内陸性特有の気候で、気温の日較差・年較差が大きく、湿度も低いのが特徴です。年間降水量も少なく、国内では北海道東部についで雨の少ない地域です。また、冬場にいわゆる「冬型の気圧配置」になると、長野県北部は大雪が降りますが、更埴地域はその南限にあたります。寒気の中心が日本海北部や北日本まで南下すると、20cm以上降ることもありますが、信州の中では比較的温暖な地域です。
風土: 平野部は千曲川によってもたらされた肥沃な土壌のおかげで、県内有数の穀倉地帯です。気候が比較的穏やかで春の訪れも早いため、昔から二毛作が行われてきました。裏作には麦が栽培され、6月に麦を収穫した後に田植えを行います。田植えの時期としては全国でもっとも遅いそうです。 昔の農家では表作の米は贅沢なので、裏作の大麦を主食にしたり、小麦を「うどん」や「おやき」などにして食べてきました。現在でも、善光寺平は全国で最も小麦の消費量が多い地域です。
6月は麦の収穫
果樹栽培も盛んで、りんご、もも、あんずなどの畑が広がります。
弊店では、更級の里ならではの食べ物も扱ってます。
りんごの花
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歴史: 「更級(科)」という地名の歴史は古く、千曲市の屋代遺跡群から出土した8世紀・奈良時代の木簡に「信濃国更科郡」と記されていたそうです。8世紀以前は、更級郡と埴科郡は一緒で『科野(しなの)郡』だったという史実があり、『信濃』の国名の起源として、歴史的に非常に価値のある地名だそうです。戦国時代には、甲斐の武田氏と越後の上杉氏がこの地で争いました。川中島平の豊かな土地は、両軍にとって魅力的でした。
名所: ・名月の里「おばすて」:更級の里の南西に位置する冠着山は、おばすて伝説に登場する姨捨山です。紀貫之や西行法師、松尾芭蕉をはじめ、古来、文人・歌人の憧れの地であり、月の名所として多くの俳句や和歌、謡曲に登場します。彼らににこよなく愛された長楽寺は、俳諧の聖地といわれている天台宗の名刹。境内には多くの句碑・歌碑が並び、中秋の名月頃には「信州おばすて観月祭・全国俳句大会」が開かれます。
・姨捨棚田と「田毎の月」:冠着山から続く斜面には、大小様々な大きさ・形の田んぼが並びます。江戸時代中頃〜明治初期に開田され、約2000枚の棚田が現存しています。この棚田のもつ土地の保全機能やその眼下に広がる善光寺平、そして、周囲の山々とかたちづくる景観が評価され、平成11年に棚田として全国ではじめて国の名勝に指定され、また、日本の棚田百選にも認定されました。 月夜には水を張った段段の田のひとつひとつに月が映り、希有の光景を見せることから、「田毎の月」として有名です。
姨捨駅付近から善光寺平を望む 左は5月。真ん中は8月。右は10月。
・あんずの里:千曲市森は、日本一のアンズの里です。アンズは桜が咲く少し前に花開きます。上平展望台に登れば一目十万本といわれている日本一のあんずの里が見渡せます。元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利候の息女豊姫が、松代藩主真田幸道候にお輿入れの折り、故郷の風情をしのぶよすがにとあんずの種を持参したのが始まりといわれています。その後、松代藩では殖産のため奨励をして今日の姿になりました。
春のあんず畑を展望台から眺める
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